(株) 木の屋石巻水産

(宮城県石巻市)

社員一同

「鯨のまち」と呼ばれた石巻で昭和32年に創業。鯨食文化継承の担い手でもある(株)木の屋石巻水産の看板商品は60年以上のロングセラーが続く鯨大和煮缶詰。そして、秋刀魚や鯖など、三陸の旬の魚の中でも、一番脂ノリが良い時期のものだけを厳選し、刺身でも食べられるくらい新鮮なうちに、こだわりのフレッシュパックで仕上げる缶詰の数々が人気です。

アーカイブ 復興への取り組み

*日本名門酒会の会報誌の記事より(2013.06)

震災を生き抜いた希望の缶詰

三陸の海は世界三大漁場の一つ。その中でも、水揚げ量宮城県有数の石巻魚市場周辺には水産加工会社が集中し、震災前は約200社以上ありました。石巻魚市場近く海から200mに位置する(株)木の屋石巻水産は東日本大震災の大津波により、甚大な被害を受けました。当時、業務にあたっていた従業員の方1名が津波の犠牲となり、工場・事務所など社屋は壊滅状態。社屋正面に置かれていた木の屋のシンボル、鯨大和煮缶のデザインを纏った赤い巨大タンクも300m先まで流されました。

在庫していた100万缶の缶詰も流されてしまいましたが、「外は泥んこでも中身はしっかり生きている!」と、集まれる社員で瓦礫と泥の中から拾い出し、その後は全国からボランティアの方も加わり、缶詰を拾って洗う作業が約8ヶ月間続きました。“震災を生き抜いた希望の缶詰”は東京を中心に全国で販売され、掘り起こされた40万缶の缶詰のうち24万缶が義援金となり、工場再建への道筋となりました。

震災から8ヶ月後。「鯨大和煮T2号缶」製造再開

震災から8ヶ月後の2011年11月、岩手の缶詰工場協力のもと震災後初めての『鯨大和煮T2号缶』の製造を再開された際には、加盟店の皆様からも沢山のご注文をいただきました。製造用のレシピも全て流されてしまったため、震災前に取引先にお渡ししていた商品詳細などを戻していただき、試行錯誤の上、震災前と変わらぬ味を完成させることが出来たそうです。

震災から約2年。2つの新工場が完成

震災から1年11ヶ月後の2013年2月、旧本社跡地には水揚げ直後の新鮮な魚を手早く下処理する新自社工場「石巻本社工場」(石巻市魚町)、缶詰倉庫の跡地には冷蔵庫が完成。3月には缶詰製造ラインなどのある「美里町工場」(遠田郡美里町)が完成し、6月初旬から缶詰ラインの試運転が始まりました。

美里町工場は水田の中を泳ぐ鯨

美里町工場は、津波の心配のない石巻の隣町、沿岸部から約10km離れた場所にあります。見渡す限り水田が広がるのどかな風景のど真ん中にあり、外観はまるで水産加工の缶詰工場とは思えない斬新な建物。向かって右が頭、左が尻尾という、木の屋の象徴である鯨をイメージさせるデザインで、稲穂が実る頃には、黄金色の海を泳ぐ姿が見られます。

水産加工会社である(株)木の屋石巻水産が、沿岸部だけではなく、津波の心配のない内陸部に工場を建設したのは「震災時、非常食であるはずの缶詰が活躍できなかった」という思いと、「災害時のリスク分散を含め、いざという時の後方支援を考えてのこと」でした。伺った日は梅雨の晴れ間で、田植えが終わった水田の緑と青い空に泳ぐ大きな鯨が輝いていました。

10年をふりかえって

(株)木の屋石巻水産 社員一同

東日本大震災よりもうすぐ10年となりますが、多くの方々にご支援いただき、お陰様で震災前の売上を回復することが出来ました。心より感謝いたします。

命と生活を繋いだ "希望の缶詰"

震災では工場の流失や事務所の全壊、また社員の家屋や車、そして魚市場や取引先も多くの被害を受けました。

震災で、社屋は壊滅状態になりました

木の屋のシンボルだった巨大タンクは津波により300m先まで流されました

震災直後は食料が無い中で、弊社の倉庫から津波で流されなかった缶詰を食べて生き永らえた方も多く、「希望の缶詰」とも呼ばれておりました。その後、社員やボランティアの方々と泥に埋まってしまっていた倉庫内の缶詰を拾い・洗い、缶詰をお渡しする代わりに義援金をいただく活動にて、社員の生活費に充てていました。

瓦礫や泥に埋まってしまっていた缶詰

缶詰を拾い洗う作業は8ヶ月続きました

缶詰を洗うボランティアの方

きれいに洗われた「希望の缶詰」

そして2011年12月にはすべての缶詰を拾い終え、同月より岩手県の委託先工場にて弊社社員を派遣し鯨大和煮缶詰の再開、震災から2年後の2013年3月には自社工場が完成し、多くの方々の支援とともに社員一丸となり再建に向けて頑張り、2016年度には震災前の売上まで戻すことが出来ました。

本来の意味での復興を目指し、これからの10年も

2013年完成 鯨をイメージしたデザインの「美里町工場」

しかし震災より10年が経過した現在も、石巻市内は未だ施設や道路の工事をしており、同業の水産加工会社閉鎖等の厳しい状況も含め復興の途上にあります。

ただ他の地域でも多くの災害が起こり、そしてコロナという全世界的な災害に見舞われる中、弊社では石巻港水揚げの魚にこだわり、ご当地の調味料や資材を活用し、地元での積極雇用等、地域の中で経済を回していくことを通じ、本来の意味での復興を目指し、これまでの10年も、これからの10年もしっかり地域に貢献・還元出来るよう社員一同頑張って参りたいと思います。合わせて災害により被災した地域へは、缶詰をメインとした支援物資の提供なども、引き続き行って参ります。

今後ともよろしくお願いいたします。

2021.01