日本名門酒会 蔵元紹介

蔵の概要

環境

歴史

徳川親藩、会津松平藩の鶴ヶ城。白虎隊の悲劇はあまりにも有名。戊辰戦争で陥落したのち取り壊されたが、戦後1965年までに再建。現在内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されている。

蔵元のある会津若松市は四方を山に囲まれた盆地です。東北の要地として江戸期には徳川幕府の親藩・会津若松藩の城下町として栄え、会津塗りや酒造など伝統産業が街中には点在しています。"会津"という地名の津=水辺に象徴されるように水の豊かな土地で、周囲の山々に降り積った雪が融けて地下に浸透し、伏流水となって会津盆地を縦横に走ります。豊富な水と肥沃な大地は良質な米を産し、酒造りには絶好の条件を供してくれています。蔵元本社は会津若松駅からすぐの場所にありますが、造り蔵そのものは市の北東に聳える秀峰磐梯山の麓、標高560mにあり、「福宝蔵」「昭和蔵」「平成蔵」の三つの蔵で仕込みが行われています。


歴史

環境

「宝の山」とうたわれる会津磐梯山麓にある磐梯工場。豊かな自然に配慮しながら伝統の酒蔵イメージを生かしたその建築は、「福島県建築文化賞」「東北建築賞」を受賞。

「榮川」は宮森榮四郎により明治2年に創業。酒銘は「穎川(えいせん)に耳を洗う」にちなみます。この故事は、世俗の栄達を避けるたとえであり、名声よりも名声を越えた旨さを実現したいという願いから命名されました。その志は創業以来、「榮川」の酒造りの姿勢の中に脈々と受け継がれてきました。戦中戦後の物資が不足した時代にも、3代目榮四郎は採算を割って良質な酒造りに徹し、大きな支持を得ました。昭和末には5代目久治が酒造りに適した良水を求め会津一円を巡り磐梯山西山麓湧水群に出会い、迷うことなく蔵の移転を決意。現在の榮川の味を築きました。


造り

造り

醪の櫂入れ

日本名水百選に指定された磐梯西山麓に湧き出る清冽な水は、そのまま酒質の柔らかさ、なめらかさに生きています。酒造りに最良の水と環境を求めて現在の地に醸造蔵を移転し、設備の近代化は進めましたが、肝心な部分は手造りで丁寧に造られています。製麹、モトは勿論の事、仕込みは開放タンクを用いて、昔ながらの製法と醪環境にこだわって醸しています。原料米も地元生産者と契約し、《美山錦》《チヨニシキ》《トヨニシキ》を作付けしてもらい、主に純米酒に使用しています。


味わい&合う料理

食

海の幸・山の幸を合わせた「こづゆ」

恵まれた環境が生みだす調和のとれた豊富な味わいと旨味、果物のような素晴らしい芳醇な香りが伝わるお酒です。

蔵元おすすめ酒に合う地元のうまいもん

こづゆ 会津地方には伝統料理「こづゆ(小汁)」があります。山の幸と海の幸を取り合わせた薄味仕立ての汁煮で、江戸時代後期から明治初期にかけて会津藩の武家料理や庶民のごちそうとして広まり、正月や祭り、冠婚葬祭など特別な日のおもてなし料理として食べられてきました。干し貝柱を利用し、焼き麩を小さく丸くした豆麩、里芋、人参、しらたき、キクラゲなどの具を入れていました。あっさりした薄味の「こづゆ」には、『榮川 特醸酒』の燗酒がお勧めです。