日本名門酒会

秋の純米酒頒布会 2021『酒蔵夜ばなし』


第3回12月

ひでよし とくべつじゅんまいしゅ

秀よし 特別純米酒

[秋田県大仙市]


1800ml 720ml
1.8Lコース 720mlコース

R2BY 熟成酒(瓶貯蔵)

〜 殿さまが名づけ親 〜


佐竹藩家紋「扇に月」

「清正に勝る」と佐竹のお殿様が命名、幕末に秋田藩御用酒となった『秀よし』

秋田県知事のお名前をご存知でしょうか。佐竹敬久氏。江戸時代に秋田藩の藩主だった佐竹氏の一族です。佐竹一族は平安時代以来、常陸国(現在の茨城県)の豪族でした。常陸国の守護大名となった佐竹家には室町時代の酒造技術書「御酒之日記」が伝えられていました(現在は写本のみが東大に所蔵されています)。

関ヶ原の戦いで、旗色を明確にしなかった佐竹氏は、徳川氏から出羽国(現在の秋田県、山形県)の半分を領するように命じられました。佐竹氏が最初に移り住んだのは、現在の仙北市、大崎周辺でした。そこは『秀よし』の蔵元・鈴木酒造店の地元です。

佐竹家には4つの分家があり、本家の後継ぎが途絶えた場合には、本家に養子として入り、秋田藩を引き継ぎました。佐竹知事の出身は、そのひとつ佐竹北家です。北家は『秀よし』の蔵元にも近い、角館に城を構えていました。延享2年(1745年)、鴨猟に出た北家当主・佐竹善拠が蔵元の鈴木家に泊まったといいます。蔵元の「文庫蔵」には、佐竹氏から拝領した品々が展示され、北家と鈴木家の交流の深さを偲ばせます。

宝暦年間(1751〜1764年)のこと。藩内の酒を秋田城下に集めたコンテストが催された際、藩主が鈴木家の酒を気に入り、当時の御用酒『清正』にも勝ると評価し、以後『秀よし』と名乗るように命じました。『秀よし』は幕末の嘉永元年(1848年)には正式に秋田藩の御用酒になりました。


(写真左)蔵の正面 (写真右)鈴木松右衛門社長(19代目)
(株)鈴木酒造店 元禄2年(1689年)創業

お酒について
秋田県産米を扁平精米、香り高く口あたり滑らかな吟醸タイプの特別純米酒

蔵元の鈴木家には、創業当時からの酒造りを記録した『元禄時代以来酒造伝記録』が伝えられています。その冒頭には「季節が変わっていく様子を肌と感性で感じ、機が熟した時に酒を造り始めるべし」という一文が記され、季節の移ろいを肌で感じながら酒造りを行うことが肝心である、と書かれています。また、遠く関西の伊丹で開発された「柱焼酎」の技法にも触れており、すでに江戸中期には、東北地方にも関西の酒造技術が伝えられていたことがわかります。

今回お届けする頒布酒は、酒造りでもっとも重要な麹米は湯沢酒米研究会が栽培した《秋田酒こまち》を大吟醸規格の50%精米、掛米は《秋田酒こまち》と《ぎんさん》を精米歩合60%とした特別純米酒です。いずれも扁平精米により精米歩合以上のタンパク除去効果を狙いました。酵母は秋田県開発の「AKITA雪国酵母UT-1」を使用。香り高く、やや甘口で滑らかな口あたりの、熟成にも強い特別純米酒に仕上げました。

  • 【分析値】
  • [原料米]秋田酒こまち(秋田県産)・ぎんさん(秋田県産)
  • [精米歩合]掛米60%(扁平精米)・酒母米,麹米50%(扁平精米)
  • [酒母]普通速醸酛
  • [酵母]AKITA雪国酵母(UT-1)
  • [アルコール度]15度
  • [日本酒度]-2.0
  • [酸度]1.8
  • [アミノ酸度]1.1
  • [杜氏]石沢 繁昌(山内杜氏)

醸造元/(名)鈴木酒造店