名水あるところに名酒あり日本酒の8割を占める水日本酒のラベルを見ても、「原材料」表示の箇所に、「水」の表記はありません。しかし、日本のお酒の定義を定めた酒税法第三条には、日本酒とは「米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの」と定められています。従って、水はお米とともに、日本酒に欠かせない原料ともいえるのです。 良質かつ大量の水を必要とする酒造り日本酒の約8割を占めるといわれる水は、日本酒の仕込みだけに使われるわけではありません。お米を洗ったり、お米に一定の水分を吸い込ませたり、お米を蒸すための蒸気としても使われますし、日本酒造りに使った道具類を洗うのも水です。 このように、日本酒造りには良質で大量の水が必要で、一般的に日本酒造りに必要な水の量は、仕込みに使うお米の30倍とも、50倍ともいわれます。大量の水を必要とする酒造りが日本で誕生した理由は、それだけ日本が良質な水に恵まれていたからだといえますし、日本酒造りが盛んな銘醸地は、必ずといっていいほど豊かな水に恵まれています。 この夏の日本名門酒会の頒布会は、日本酒を通じて日本各地の蔵元の水に焦点を当て、地域の自然や稲作などに触れながら、名酒が生まれる風土に思いを馳せていただく企画です。 水豊かな国・日本日本酒に限らず、他の酒類をみても、食品全般をみても、原材料に「水」が使用されていても、表示されていないことが多いようです。日本の加工食品品質表示基準には「水」の表示についての規定がないため、ミネラルウオーター等を除いて、一般的には原材料として「水」の表示は行われていません。これも水に恵まれた日本ならではのことなのかもしれません。 豊かな森がささえる豊かな水四方を海に囲まれた日本には、絶えず海から水分を含んだ風が吹き寄せています。その風は日本列島を南北に走る山脈(脊梁山脈といいます)にぶつかって、上昇気流となり、冷たい空気で冷やされて、雨や雪となって降り、森林に蓄えられます。 余談ですが、国際連合食糧農業機関(FAO)の2020年の発表では、日本の森林率は68・41%。世界の国々の中で21位。先進国ではフィンランド(73・73%)、スウェーデン(68・69%)に次ぐ環境大国なのです。(*参照:世界各国の森林率 ) 急流が生む澄んだ軟水森林に蓄えられた水は、川となり、地下水となって私たちの暮らしを支えながら、海へと注ぎます。日本が世界でも数少ない水に恵まれた国である理由がそこにあります。しかも、南北に細長く平地がすくない日本の地形では、河川の水も地下水も、急流になりやすく、地層の影響が少ないため、ミネラル分の少ない「軟水」になる傾向があるうえ、急流で泡立った水は、充分な酸素を取り込んで、不純物を沈殿させるため、澄んだ水となります。 稲を育てる水、水を護る水田また、私たち日本人の主食であり、日本酒の主原料でもある日本のお米も、水田で作付けされることから「水稲」と呼ばれますが、その稲作で最も重要なのが水の管理なのです。 日本に稲作が伝わった約3千年前から、私たちの先祖は原野や山の斜面を開墾して水田をつくりました。それらの水田も日本の水資源を守る仕組みとして機能しているだけでなく、生態系の維持にも一役買っているといわれています。 世界各国の森林率(2018年調査分)FAO(国際連合食糧農業機関)2020年10月発表(*印は推定値)
酒の神は山の神、そして水の神日本固有の宗教である神道は、自然崇拝に基づいた精霊信仰と、祈祷・呪術が融合したものといわれます。日本の神々は自然界のあらゆるところに宿り、その恩恵に浴するために、時に荒らぶる神を鎮めるために祭りが始まりました。日本のお酒の起源も祭りのために造られました。だから、日本の祭りにはお酒が欠かせないわけです。 松尾神社と大山咋神さて、日本の酒造りの神様といえば3つの神社が有名です。まず、最初は全国の蔵元のほとんどが酒蔵の神棚に祀っている通称・松尾様こと京都の嵐山にある松尾大社です。 この神社の主神は、渡来系氏族・秦氏が氏神として祀った大山咋神です。その名の通り山の神であり、京都の鬼門を守る比叡山の日枝神社と、裏鬼門を守る嵐山の松尾大社に祀られる武神でもあります。松尾大社が酒の神とされるのは、秦氏がもたらした先進技術の中に、酒造りの技術があったからだとされています。 大神神社と少彦名神次に有名な酒造りの神様は、奈良の桜井市にある大神神社です。この神社の周辺は、近年、邪馬台国の有力比定地として注目されていますが、三輪山がご神体であるこの神社には本殿がありません。 主神は大物主神。大和勢力に滅ぼされた出雲勢力を代表する大国主神(大己貴命)と同一神とされています。大物主神と共に祀られている少彦名神は、大国主神と共に国造りを行った神です。少彦名神も海を渡って来た技術系の神とされ、酒造りとも深い関係があるようです。蔵元の軒先に吊るされている杉の葉を丸く束ねた「酒林」はこの神社が酒造りのお守りとして蔵元に授けているものです。 梅宮大社と大山祇神、木花咲耶姫命最後にご紹介する酒造りの神様は、京都・右京区にある梅宮大社です。この神社の神門前には、「日本第一酒造之祖神」と刻まれた石碑があります。祭神の大山祇神(大山津見神、大山積神)は、日本の総氏神である伊勢神宮内宮に祀られる天照大御神の兄神にあたり、娘神の木花咲耶姫命(神吾田鹿葦津姫)は、天孫・邇邇芸命(瓊瓊杵尊)の后になった神様です。 神話では、木花咲耶姫命の婚礼と出産を祝い、狭名田の茂穂で「天甜酒」を造り、神々に振舞ったと伝えられています(「天甜酒」を造ったのは、大山祇神とも木花咲耶姫命ともいわれます)。なお、「天甜酒」は米と米麹で造った酒であるとも、一夜酒ともいわれる甘酒の一種であるともいわれ定かではありません。 山の神にして、水の神、農耕の神、漁業の神、酒の神大山祇神は本来、山の神の総元締めであり、天照大御神に代表される天津神に対して、土着の神・国津神の代表格ともいわれています。水は山から出でて、田畑を潤し、海へと流れるため、大山祇神は山の神、鉱山の神、水の神、農耕の神、漁業の神など、広い領域に神威を発揮する神なのです。 酒の神でもある大山祇神は「酒解神」、木花咲耶姫命は「酒解子神」とも呼ばれます。また、木花咲耶姫命の夫神・邇邇芸命は「大若子神」、その子・火遠理命(彦火火出見尊)は「小若子神」とも呼ばれます。この「わく」は酒の醪が発酵する状態を表す「湧く」に由来するといわれ、共に梅宮大社に祀られ、酒造りとともに縁結び、安産、豊作のご利益があるとされています。 ちなみに、大山祇神は愛媛・大三島の大山祇神社にも日本の国土の守り神である日本総鎮守として祀られています。また、松尾大社の大山咋神は、大山祇神の曾孫神とされていますし、出雲神話で須佐之男命の指示で、「八塩折之酒」を醸した手名椎、足名椎夫婦も、大山祇神の子であると名乗っています。 硬水と軟水名水あるところに名酒あり水はカルシウムとマグネシウムをどの程度含んでいるかで「硬水」と「軟水」に分けられます。しかし、この分類は、WHO(世界保健機関)が定めた基準と、日本の醸造用水の基準は一致していません。日本の醸造用水は、酒造りに影響がある範囲での分類であり、飲料水としての分類ではないことをお断りしておきます。 日本酒造りに適した水質は?さて、日本酒造りに適した水質といえば、かつては「硬水」だといわれていました。確かにカルシウムは、麹の酵素を水に溶け出しやすくする働きや、酵素の活性を促進する働きがあります。また、アルコール調整のための割水には、硬水の方が味崩れを起こし難いともいわれています。 一方で、カルシウムが多過ぎると、醪の酸が増えて品位を欠く酒質になることがあるともいわれています。マグネシウムは酵母などの微生物の生育に必須な成分ですが、実際には水よりも米に含まれる量が多いため、水に含まれるマグネシウムの量は無視してもよさそうです。 硬水・軟水、それぞれが生み出す個性醸造技術が飛躍的に進歩した現在では必ずしも硬水が酒造りに適しているとはいえません。特に衛生面での環境が整った現在では仕込水の硬軟は、日本酒の良し悪しではなく、味わいを特長づける要素になっているといえます。 例えば、硬水で造った日本酒は「濃醇辛口タイプ」になりやすく、軟水で造った日本酒は「淡麗甘口タイプ」になりやすいともいわれます。これは良し悪しというよりも、好みの問題といえます。 いずれにしても、日本酒の味わいを決めるファクターには、水質のほかに、米質や杜氏の技術、さらに気温や地域の食文化など様々なことが考えられるため、ひとことでは日本酒の味わいを語ることはできません。 醸造用水の硬度水の硬度とは、水1リットルに含まれているカルシウムとマグネシウムの量を合算した割合を示すものです。その分類基準は地域や業界などでも違いがあります。例えば、世界中の様々な飲料水を対象にしたWHOの基準と、科学的な研究における水の硬度基準は違いますし、日本の醸造用水の硬度基準も独自に定められていますので、一概に水を「硬水」や「軟水」に分けて話すことはできません。 また、硬度の示し方にも、アメリカ硬度やドイツ硬度、フランス硬度、イギリス硬度などがあり、現在日本ではアメリカ硬度を採用していますが、日本酒業界では、戦前からの伝統でドイツ硬度を使用することも多いようです。 醸造用水の硬度分類
蔵元の仕込み水の硬度
*水の硬度は、常に微妙に変化しています。 2021夏の頒布会:内容&お申込案内 頒布酒紹介 日本酒と水をめぐる物語 |
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